最近小学校に訪れることがあり、そこで感じたことについて書いてみたいと思います。
あなたは公教育(特に小学校や中学校)で教える必要があることはなんだと思いますか?
英語やプログラミングですか?
才能や個性を発見し伸ばすこと?
私は、小学校で英語やプログラミングを教える必要はないし、才能や個性を伸ばす必要もないと考えています。
そして、公教育にとって大切なのは以下の事をできるようにすることだと考えています。
- ルールを守る
- 人の気持ちを考える
- 読み書き計算
- 論理的に考える
どうして才能や個性を伸ばすことではなく、これらが重要だと考えるのかについて書いていきたいと思います。
才能や個性を伸ばすことは大切だが公教育のすることではない
私は、才能や個性を軽視しているのではありません。
才能や個性を伸ばすことは大事なことです。
しかし、才能や個性を伸ばすことは公教育の目的ではないと考えています。
では公教育の目的とはなんでしょうか。
私が公教育の目的と考えているのは、「子ども達が社会で生活していくために最低限必要な常識と能力を身につけさせること」です。
子ども達が最低でも日本で生活していくために必要な常識と能力とはなんでしょうか。
確かに、これからの時代は英語やプログラミングの知識は必要だと思います。
海外で活躍することを視野に学んで行くことも大切だと思います。
しかし、それらが今いる子ども達の多くが必要とするものなのでしょうか?
私は、それよりも大切なことは英語やプログラミングが必要になった時に自分で学べる基礎的な能力があることだと考えています。
それが個性を伸ばすことにつながるのではないでしょうか。
社会で生きていき、何かをしたくなった時にそれを学ぶことができるために最低限必要なことを教える。
それが、公教育に求められる事だと考えています。
では、最低限必要な事とは何でしょうか?
私が、最低限学ぶべきことは以下の4つだと考えています。
・ルールを守る
・人の気持ちを考える
・読み書き計算
・論理的に考える
では、どうしてこの4つが最低限学ぶべきだと私が考えるかについて書いていきたいと思います。
ルールを守る
「ルールはルール」
「ルールを守りなさい」
というと、ルール通りにやっていては新しい発想は生まれないと言う人がいます。
しかし、そうでしょうか?
たとえばサッカーで、相手を着き飛ばしたり、手を使ったりしてでも試合に勝てばいいと思うでしょうか?
私が言っているルールを守るということは、
サッカーでいえば、「手を使ってはいけません、相手を殴ってはいけません」という最低限のルールを守るということです。
そんなことみんなできると思うかもしれません。
しかし、「授業中は席をたってはいけない」「授業中は静かにしている」ということができない子供がいます。
こういう話をすると、「動いたほうが記憶しやすい」「みんなで席に座って勉強するというのは時代遅れだ」という意見もあります。
確かに脳科学的には効率がいいかもしれません。
しかし、みんなが好き勝手に動き回っていて授業になりますか?
みんなが好き勝手に話をしていて授業になりますか?
まず大事にしなければいけないのは「ルールを守る」という事ではないでしょうか?
「公共の場では周りに迷惑をかけない」
「順番は抜かさない」
こういったことができない人たちが増える社会で本当にいいのでしょうか?
社会で生きていくということは、他者と生活していくということです。
その中で最低限のことは守らなければいけないことことを教えることは、公教育の目的だと私は思います。
ブラック校則なら守らなくていいのか?
ブラック校則という言葉を最近よく聞きます。
テレビなどでも、「そもそもこの校則自体が時代遅れだ」とコメントする人もいます。
確かに時代遅れの校則は存在します。
では、校則自体が時代遅れであれば守らなくていいのでしょうか?
たとえ時代遅れであったとしても、大前提として守らないといけないと教えなければいけないのはないでしょうか?
私は、その学校に属している以上は守らなければいけないと考えます。
しかし、盲目的に校則を守らなければいけないと言っているのではありません。
人権を否定したり、誰かを傷つけたりするような校則もあります。
その場合は、「そんな校則を守ってでもその学校に居続けるのか」「その組織を出るか」「その校則を変えるように動くか」を選ぶ必要があります。
人権を否定したり、誰かを傷つけるような校則は変えるべきだと思います。
校則がおかしいのであれば校則を変えればいい。
もちろん、校則を変えようとしても変わらないこともあるかもしれません。
話し合っても人権を否定するような校則が変わらないのであれば、校則が悪いのではなくそれを変えなければいけないという判断ができない学校が悪いのです。
その時は、その校則を守ってでも学校にいたいか、守るくらいなら学校を出るかを選ぶ必要があります。
何も考えずに校則を守ることも、校則がおかしいから守らなくていいという考えも、どちらも私は危険な発想だと思います。
まずは、「どうしてそんな校則があるのか」「なんのためにその校則があるのか」を考え、その上でその校則をどうするのかを判断できるようになることが大切です。
公教育としては、まずは大前提としてルールは守らないといけないという事を教えることが大切だと私は考えています。
その上でどんなルールがおかしいのかを考え、おかしなルールであればみんなで話し合い改善していく力を身につけることが子どもたちには必要だと思います。
今回は、私が公教育の目的として考えていることについて書きました。
またその中の一つの「ルールを守ること」がどうして大切と考えているかについて書きました。
続きは、公教育の目的は、才能や個性を伸ばすことではない No.2に書いていますので読んでみてください。