私は、小中高生と話をしていて疑問に感じることがあります。
それは「質問に単語で答える」ということです。
もちろん小さい子どもが質問に単語で答えることは普通のことです。
しかし、中学生や高校生(ましてや大学生や社会人に)になっても単語で答えているというのは危険な状態です。
授業が始まって何か言いたそうにしているので、「どうしたの?」と聞くと、「宿題」と答えるのです。
それ以外でも、「授業を始める前にまずはこの問題解いてみて」というと、「筆箱」と答えるのです。
本人は「宿題を忘れました」「筆箱を忘れたので鉛筆と消しゴムを貸してほしい」と言いたいのだと思うのです。
それを、「宿題」「筆箱」と答えているのです。
周りからすれば「宿題を忘れたのか、やってきてないのか」「筆箱を忘れて取りに帰りたいのかどうなのか」がわからないこともあります。
確かに小さい頃はうまく話せずに単語で答えることはあると思うのですが、中学生高校生(中には大学生でも)になっても変わらない人がいます。
私はその子たちに「単語で答えず、何があってどうしたいのかを言いなさい」と注意するようにしています。
同時に「相手に理解してもらうのではなく、自分がどうしたいかを相手が理解できるように伝えるのがあなたのすることです」と言っています。
これは嫌がらせではなく(もちろん本人がどうしたいのかは察しがついてます)、これが受験にも影響しているからです。
単語で答えていると論理性が育ちにくい
私は単語で答えることを続けることで論理性が育ちにくくなると考えています。
単語で答えていても周りが理解してくれるので説明する必要がないのです。
どうしたら自分の考えを周りに伝えることが出来るのか、自分がどうしたいのかどういえば周りが理解してくれるかを考える必要がないのです。
ですので、順序だてて自分の考えを話したり、自分が考えている根拠を伝えたりすることがないのです。
始めは上手く説明できなくても、わかってもらおうとあれこれ言い方を変えることで少しずつ論理性が育っていくと私は考えています。
たとえば、「スイカが野菜なのはどうして?」と聞くと、「果物ではないから」と答えるのです。
スイカは日本では野菜に分類されており、その理由にはいくつかの説があります。
代表的な理由は、「スイカは畑になる」「毎年種をまく必要がある」ということです。
つまり、「木に実がなるものは果物、畑になるものは野菜」「毎年実がなるものが果物、毎年種を蒔くものが野菜」と分類されているということです。
「果物じゃないから野菜」というのは答えになっていません。
何も正解を答える必要はなく、自分なりに考えて「○○だから野菜です」と答えていれば問題ありません。
どうして野菜なのかを考え、相手に伝わるように根拠を並べて、自分なりの考えを伝えることが大切です。
論理性が育たないとなぜまずいのか
身近な相手であれば、その話の背景を共有できているのであまり論理的でなくても伝わります
しかし、初対面の人や普段から一緒にいるわけではない人に伝えようと思うと順序だてて説明する必要があります。
また、自分の中で論理性が育っていないと、自分の考えを上手く伝えることが出来ないだけでなく相手の言っていることを理解することが難しくなります。
文章を読んでも内容を理解できない、どこが理解できないかを説明できない、説明できないので相手にも答えてもらえない、そして諦める。
「問題の意味が分からない」
「○○を説明しなさい、にこたえられない」
「英語は訳せるけど意味がわからない」
こういったことは私たちが子どものころから言われていたことだと思います。
だからといって大した問題ではないということではありません。
私はこれからは「説明出来ない」「文章が理解できない」という人たちは仕事を失う可能性が高いと考えています。
それは、説明する必要がないような単純な作業、文章を読まなくてもルーティンでこなせる作業は、人間ではなくAIがやることになるからです。
AIが今後どう発展していくのかは議論が別れるところです。
私はAIは単なる計算機であり万能なわけではないと考えています。
AIにも得意なことと苦手なことがあります。
AIが得意なことは、単純な作業、ルーティンでこなせる作業です。
一方苦手なことは、文章を理解することや課題を見つけることです。
AIは、簡単な文章でさえ理解できません。
たとえば、次の問題を解いてみてください。
問1 次の文を英訳しなさい。
(1)昨日、山本と東京へ行った。
(2)昨日、山形と東京へ行った。
ちなみにこれは英語の知識を聞きたくて書いたのではないです。
(1)の答えは、
Yesterday, I went to Tokyo with Yamamoto
では、(2)はどうなりますか?
自然とかける人と、書けない人がいると思います。
そう、これは二通りの取り方ができます。
行ったのは、(a)山形と東京なのか、(b)東京だけなのか。
(a)Yesterday, I went to Yamagata and Tokyo.
(b)Yesterday, I went to Tokyo with Yamagata.
ちなみにグーグル翻訳にかけてみました。
問1は 、Yesterday, I went to Yamamoto and Tokyo.
問2は、Yesterday, I went to Yamagata and Tokyo.
ここで、私が言いたいのはAIはこんな簡単な文でも書き換えられないということです。
ただ、これから開発が進んでいけばこれくらいなら解けるようになります。
ちなみに、皆さんがこのブログを読んでいる時にはすでに改善されている可能性もあります。
私がここで言いたいのは、AIは文章を理解して処理を実行しているのではないということです。
文章を理解して、課題を発見し行動するということが、これからの人間に必要な力だと考えています。
私は、論理性がない人はこれから仕事がなくなる可能性が高いと考えています。
これが私が論理性がないとまずいと考える理由です。
どうして単語で答える様になるのか
ではどうして単語で答えるようになるのでしょうか
この理由について色々と考えてみました。
色々な理由があると思いますが、「親が子どもが話す前に察して行動してしまう」ことが要因の1つだと私は思います。
「お箸」といえばお箸をとってくれる
レストランで黙っていても「○○が食べたい?」と聞いてくれる
文章を話して説明しなくても周りが理解してくれるので、説明する必要がないのです。
親御さんも忙しいので、子どもが話しているのをだまって聞いている時間がない。
ですので、子どもが話すより先に用意してしまうのではないでしょうか。
子どもからすると、何も話さなくても伝わるので自分の気持ちを伝える必要がないのです。
そういったことが中学生や高校生でも続くことで、自分の考えや思いを上手く伝えられなくなってしまっているように感じます。
ずっと身近な人とつながっているなど理由は他にもあると思います。
ただ、「伝える必要がない」というのが共通している事だと思います。
論理性を身につけるために何をすればいいか
論理性を身につけるためには、まずは自分の考えを話すことだと私は考えています。
始めは上手く話せなくてもいいですので、まずは伝えようと思うこと。
そして、どうやったら上手く伝わるのかを考え続けることだと思います。
上手く伝わらなかったときは、どうして伝わらなかったのかを考える。
どこがわからなかったのかを相手に聞いてみるのも大切です。
もし相手に否定された場合には、何がいけなかったのかどこが論理的でないのかを話し合うことです。
自分の意見と違うからと言って拒否するのではなく、どうして相手が違う意見を持っているのかを聞くことも大切です。
もちろん話すことが出来ないからと言って論理性が育たないということではありません。
話すことが出来なくても文章にしてみて相手に伝わらない、どうしたら伝わるのかそういうことを考えることが大切です。
すぐには身に着かないかもしれませんが、少しずつ論理性を身につけてほしいと考えています。
今回は私が子ども達に感じていることについて書いてみました。
これからAIが台頭してくるので、子ども達には課題発見力を身につけてほしいと思っています。
そのためには論理性を持つことは重要です。
AIには得意なことと苦手なことがあります。その一つが、課題発見力です。
AIが得意なこと・苦手なこと、課題発見力についてはまた別で書きたいと思います。
これからの時代を生きる子ども達には、単語で答えるのではなく文章で答えることを意識して欲しいです。